http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9 ... 1.E5.BA.A7.E8.A3.8F
宗五郎(そうごろう)
後藤家が御金改役を務める金座の裏に居を構える十手持ち。将軍家御目見の古町町人で、金座裏の親分と呼ばれる。宗五郎は9代目。本名は周太郎。金流しの十手は先祖が将軍から拝領した代物。
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金座成立以後、後藤家は御金改役(ごきんあらためやく)として本石町の役宅において金貨の鑑定と検印のみを行い、実際の鋳造は小判師(こばんし)などと呼ばれる職人達が行っていた。小判師達は小判座(こばんざ)と総称され、後藤宗家が居住していた本石町の金座役宅の周辺に施設を構えてその支配下に置かれていた。このため、御金改役を世襲した後藤宗家を小判座(小判師職人)の元締という意味を込めて特に大判座(おおばんざ)とも呼んだ。だが、管理の厳格化と小判師の分散化を防止するために元禄11年(1698年)に邸外の鋳造施設を廃止して金座役宅(後藤宗家邸)の敷地内に鋳造施設を設置して、以後江戸での金貨鋳造はここでのみ行うことになった。更に明和2年(1765年)以後には小額の銅銭鋳造の業務を銀座と分担して行うようになった。なお、後藤家は宗家が文化7年(1810年)に役目に不正があったとして取り潰され、後任の御金改役を命じられた分家も弘化2年(1845年)に幕府批判をした[1]として取り潰された。そこで江戸に帰還を許されていた旧宗家の末裔が再興を許されて御金改役に復帰して幕末まで金座を管理していた。