安房守日(真田豪语录)

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[增上寺II]有章纷纭—七代将军家继时代的要人们(7/13更新)

[增上寺II]有章纷纭—七代将军家继时代的要人们(7/13更新)

[B]有章纷纭 —— 七代将军家继时代的要人们[/SIZE][/B][/ALIGN]

[B]序[/SIZE][/B][/ALIGN] 有章御代,顾名思义乃是指七代将军德川家继的治下;那是一个由六代将军文昭院家宣开启的正德之治到八代将军有德院吉宗致力于幕府中兴的短命过渡。相较于长达二百六十余年的德川天下,在这可称得上是刹那间的岁月中,权力的腐臭与芬芳在至高无上的幕府将军身旁互融交汇,依旧不断地上演着一幕幕的悲欢离合。 正德二年十二月十一日,这是一个既庄严又肃穆的日子。刚为父亲守完中阴的三岁半的幼儿在这天完成了接任父亲宝座的就任仪式。随即二十三日又接到灵元院赐封家继为正二位大纳言的院宣,于是从这一刻起,有章御代便算是正式的开始了。

[B]旧 臣[/SIZE][/B][/ALIGN] 间部越前守诠房,这是一位此时虽已年近半百,但却依然堪称容姿秀丽的男子。这位原先不过切米百五十俵十人扶持的小姓,如今不仅官高禄厚,更是成为了将军的后见,事实上的太上皇。 翻开他的履历,映入眼帘的是一片令人艳羡的颜色。

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re:打算主要写诠房、天英院、月光院三人,附带...

打算主要写诠房、天英院、月光院三人,附带写白石、吉宗、八十宫、绘岛等~ 四歳の幼い身で将軍となった家継にとって、側用人 間部詮房は父のような存在であったという。詮房が出かけ戻ってくる時には「越前(詮房のこと)を迎えに出よう」といって外で待っており、帰ってくるとうれしそうに間部に抱きついたという。  また、逆に他の者が遠慮して言えないことであっても、間部からはきつく叱られた。家継が聞き分けがない時は「越前が参ります」というとおとなしくなったという。

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re:[em12] 嗯,一天写300字然后休息...

[em12] 嗯,一天写300字然后休息一星期的强度还是可以接受的~

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