《枕草子》第八八段《無名といふ琵琶の御琴を》
「無名といふ琵琶の御琴を、主上の持てわたらせたまへるに、見などして、掻き鳴らしなどす」といへば、弾くにはあらで、緒など手まさぐりにして、「これが名よ、いかにとか」ときこえさするに、「ただいとはかなく、名も無し」とのたまはせたるは、「なほ、いとめでたし」とこそ、おぼえしか。
淑景舎(1)などわたりたまひて、御物語のついでに、「まろがもとに、いとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿(2)の、得させたまへりし」とのたまふを、僧都の君(3)、「それは、隆円に賜へ。おのがもとに、めでたき琴はべり。それに替へさせたまへ」と申したまふを、ききも入れたまはで、異ごとのたまふに、「答へさせたてまつらむ」と、あまたたびきこえたまふに、なほ、ものものたまはねば、宮の御前の、「いなかへじと、思したるものを」とのたまはせたる御気色の、いみじうをかしきことぞ、かぎりなき。この御笛の名、僧都の君も、得知りたまはざりければ、ただ恨めしう思いためる。これは職の御曹司におはしまいしほどのことなめり。主上の御前に「いな替へじ」といふ御笛のさぶらふ、名なり。
御前にさぶらふ物は、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄上、牧馬、井手、渭橋、無名など。また、和琴なども、朽目、塩釜、二貫などぞきこゆる。水龍・小水龍、宇陀の法師、釘打、葉二つ、なにくれなど、多くききしかど、忘れにけり。「宜陽殿(4)の一の棚に」といふ言草は、頭の中将(5)こそ、したまひしか。
(1) 中宮定子の妹で東宮淑景舎女御原子。(2) 中宮定子の父道隆。長徳元年四月十日薨去。年四十三歳。(3) 中宮定子の弟隆円。正暦五年(九九四)十一月五日任権少僧都。(4) 紫宸殿の東。その母屋には累代の御物が納められ、一の棚は第一級品が置かれた。(5) 藤原斉信。頭中将は正暦五年八月二十八日から長徳二年(九九五)四月二十四日まで。