武力 68
政治力 76
魅力 44
野望 52
名前
加藤清正
年代
1562~1611
武将列伝
清正の母と秀吉の母は従姉妹で、秀吉は身内の清正を受け入れ、秀吉の出世とともに各地を転戦し手柄をたてていった。賤ヶ岳の合戦では7本槍の1人に数えられる武功をあげて、一躍武名を高めた。秀吉の九州制覇で、一挙に肥後半国25万石の大名になり、朝鮮出兵含め小西行長・石田三成らと功を争うことになる。秀吉死後は徳川家と関係を深め秀頼と家康の斡旋につとめたが、秀頼・家康の会見のあと肥後に帰る途中船上で病み、帰国後すぐにこの世を去った。家康の毒殺説もあるが、真偽のほどはわからない。