安房守日(真田豪语录)

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御笠郡武蔵邑(みかさぐんむさしむら)須多礼(すだれ)に住む藤原虎丸(麿)という長者です。築地をめぐらした豪邸を構えて、75人の家来を上武蔵、中武蔵、下武蔵の三村に住まわせていました。 在御笠郡武蔵邑(みかさぐんむさしむら)須多礼(すだれ)住着一个叫藤原虎丸(麿)的狠人。凭借围墙环绕的豪宅,带领75人的家臣盘踞在上中下武藏三个村子中。
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『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』には、「今に至る迄毎年十月十五日に、地蔵会供養を行ふ事あり。是は虎丸長者武蔵村、井手古賀村、塔原村、萩原村、山口村、此五村に七十五所の別業ありき。・・・七十所の内二十五つつ集りて、三年に勤む。是虎丸長者か時よりの定式也と云」
『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』中写到、「即使在现在,每年十月十五日也会有地蔵会供養的行事。这是虎丸長者在武蔵村、井手古賀村、塔原村、萩原村、山口村五村里拥有七十五座别墅(院)。・・・七十个别墅(院)中每二十五名家臣一个单位、每三年一换班。据说这就是留下来的定式」
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虎丸の娘、瑠璃姫が腫病を患った時、薬師如来のお告げにより地面を掘ったら温泉が出た。その温泉に入浴して娘の病が治った。その温泉が武蔵温泉で、『万葉集』に見える「次田温泉」のことと見られている。時に白雉四年のことであった。(『太宰府小史』太宰府天満宮発行、昭和二七年)
虎丸之女琉璃患肿病,按照药师如来的神谕挖掘温泉,泡过温泉的琉璃恢复健康。这温泉就是武蔵温泉,也就是《万叶集》中所见的“次田温泉”。时为白雉四年。
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○白鳳二年、天智天皇の朝に仕える藤原虎丸が釈祚蓮を招いて武蔵寺を開基した。(『筑前國続風土記拾遺』)
○白鳳二年、天智天皇时藤原虎丸得到釈祚蓮,创建武藏寺。

○朱鳥元年十月十五日、虎丸卒す。毎年のこの日、武蔵村の村民七五家、虎丸の供養として地蔵會を催すようになった。虎丸の墓石が武蔵寺にある。(『筑前國続風土記拾遺』)
○朱鳥元年十月十五日、虎丸死。每年的这个日子,供养虎丸的武藏村七五家会召开地藏会。虎丸的墓碑存于武藏寺。
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