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标题: [转帖]日本古代的国. [打印本页]

作者: 奥多文斯    时间: 2004-11-11 17:13     标题: [转帖]日本古代的国.

[B] 日本古代的国. [/B]令國制起自奈良時代,至明治維新實行廢藩置縣後再行分劃,其間不斷進行改劃。令國制之「國」乃根據日本天武天皇(てんむてんおう)(Tenn-mu-Tenn-ou)所創之「五畿七道」作行政分區而劃分,除在明治時新加之「北海道」外,共有六十多國。令國制同時根據中國當時的地方行政「州」來命名地方行政區,所以各國都有「州」的俗稱,各國之國府則是主要街道及官道之要站。 當時六十多國分別分佈於五畿七道(ごきしちどう)(Go-ki-Shichi-Dou)內 五畿(ごき)(Goki),即天皇京畿一帶之五國,又稱「畿內」(きない)(Kinai): 山城、大和、河內、和泉、攝津 七道(しちどう)(Shichi-Dou)分為東山道、東海道、北陸道、南海道、西海道、山陽道及山陰道;依照日本地理及地勢命名。 北海道(ほっかいどう)(Hok-kai-dou)共一國(十區): 蝦夷(北海道) 東山道(とうさんどう)(Tou-san-dou)共六國: 美濃、上野、下野、飛驒、近江、信濃 東海道(とうかいどう)(Tou-kai-dou)共十五國: 伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、安房、上總、下總、常陸 北陸道(ほくりくどう)(Hoku-riku-dou)共七國: 越後、越中、越前、佐渡、能登、加賀、若狹 山陽道(さんょうどう)(Sann-you-dou)共七國: 播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門 山陰道(さんいんどう)(Sann-in-dou)共八國: 丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見、隱岐 南海道(なんかいどう)(Nann-kai-dou)共六國: 紀伊、淡路、阿波、讚岐、伊予、土佐 西海道(さいかいどう)(Sai-kai-dou)共十一國: 豐前、豐後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩、對馬、壹岐rib1 令國制起自奈良時代,至明治維新實行廢藩置縣後再行分劃,其間不斷進行改劃。令國制之「國」乃根據日本天武天皇(てんむてんおう)(Tenn-mu-Tenn-ou)所創之「五畿七道」作行政分區而劃分,除在明治時新加之「北海道」外,共有六十多國。令國制同時根據中國當時的地方行政「州」來命名地方行政區,所以各國都有「州」的俗稱,各國之國府則是主要街道及官道之要站。 當時六十多國分別分佈於五畿七道(ごきしちどう)(Go-ki-Shichi-Dou)內 五畿(ごき)(Goki),即天皇京畿一帶之五國,又稱「畿內」(きない)(Kinai): 山城、大和、河內、和泉、攝津 七道(しちどう)(Shichi-Dou)分為東山道、東海道、北陸道、南海道、西海道、山陽道及山陰道;依照日本地理及地勢命名。 北海道(ほっかいどう)(Hok-kai-dou)共一國(十區): 蝦夷(北海道) 東山道(とうさんどう)(Tou-san-dou)共六國: 美濃、上野、下野、飛驒、近江、信濃 東海道(とうかいどう)(Tou-kai-dou)共十五國: 伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、安房、上總、下總、常陸 北陸道(ほくりくどう)(Hoku-riku-dou)共七國: 越後、越中、越前、佐渡、能登、加賀、若狹 山陽道(さんょうどう)(Sann-you-dou)共七國: 播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門 山陰道(さんいんどう)(Sann-in-dou)共八國: 丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見、隱岐 南海道(なんかいどう)(Nann-kai-dou)共六國: 紀伊、淡路、阿波、讚岐、伊予、土佐 西海道(さいかいどう)(Sai-kai-dou)共十一國: 豐前、豐後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩、對馬、壹岐rib1

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作者: 真田豪    时间: 2004-11-11 17:49     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

繁体?最好转化成简体~~~``另外石高数呢?[em01]
作者: 真田豪    时间: 2004-11-11 18:18     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

[B]日本战国各国石高[/B] 国名 現在の行政区分 石高 蝦夷 北海道 不明 陸奥 青森、岩手、宮城、福島 167.3 出羽 秋田、山形 31.8 常陸 茨城 54 上野 群馬 49.6 下野 栃木 37.4 下総 千葉 39.3 上総 千葉 37.9 安房 千葉 43.5 武蔵 埼玉、東京、神奈川 66.7 相模 神奈川 19.4 伊豆 静岡 7 甲斐 山梨 22.8 信濃 長野 40.8 飛騨 岐阜 3.8 駿河 静岡 15 遠江 静岡 25.5 三河 愛知 29 尾張 愛知 57.2 美濃 岐阜 54 伊勢 三重 56.7 志摩 三重 1.8 越後 新潟 39.1 佐渡 新潟 1.7 越中 富山 38.3 能登 石川 21 加賀 石川 35.6 越前 福井 49.9 若狭 福井 8.5 近江 滋賀 77.5 伊賀 三重 10 山城 京都 22.5 大和 奈良 44.9 摂津 大阪、兵庫 35.6 河内 大阪 24.2 和泉 大阪 14.1 紀伊 和歌山 24.4 丹波 京都、兵庫 26.4 丹後 京都 11.1 但馬 兵庫(99.9.26訂正) 11.4 播磨 兵庫 35.9 美作 岡山 18.6 備前 岡山 22.4 備中 岡山 17.7 備後 広島 18.6 安芸 広島 19.4 因幡 鳥取 8.9 伯耆 鳥取 11 出雲 島根 18.7 石見 島根 11.2 周防 山口 16.8 長門 山口 13.1 隠岐 島根 0.5 淡路 兵庫 6.2 讃岐 香川 12.6 阿波 徳島 18.4 伊予 愛媛 36.6 土佐 高知 9.9 豊前 福岡、大分 14 豊後 大分 41.8 筑前 福岡 33.8 筑後 福岡 26.6 肥前 佐賀、長崎 31 壱岐 長崎 不明 対馬 長崎 不明 肥後 熊本 34.1 日向 宮崎 12 大隅 鹿児島 17.5 薩摩 鹿児島 28.3 [IMGA]UploadFile/2005-2/2005219153322107.jpg[/IMGA]

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作者: 真田豪    时间: 2004-11-11 18:19     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

江戸藩石高 (文久3年幕府大目付調べ) 順位 国名 藩名 石高 初代藩主 初代藩主の父 文久3年の藩主 藩格 1 加賀 金沢 120万石 前田従三位中納言利長 前田利家 前田正二位権中納言斉泰 外様 2 薩摩 鹿児島 72万8000石 島津従三位中納言家久 島津義弘 島津修理大夫忠義 外様 3 陸奥 仙台 62万石 伊達権中納言政宗 伊達輝宗 伊達左中将慶邦 外様 4 尾張 名古屋 61万9500石 徳川従二位権大納言義直 徳川家康 徳川義宣 三家 5 紀伊 和歌山 55万5000石 徳川従二位権大納言頼宣 徳川家康 徳川茂承 三家 6 肥後 熊本 54万石 細川従三位参議忠興 細川藤孝 細川正四位下左中将 外様 7 筑前 福岡 47万3000石 黒田従四位下筑前守長政 黒田孝高 黒田従二位左中将長溥 外様 8 安芸 広島 42万6000石 浅野従四位下紀伊守幸長 浅野長政 浅野従四位下左少将長訓 外様 9 長門 萩 36万石 毛利従三位権中納言輝元 毛利隆元 毛利従二位権大納言敬親 外様 10 肥前 佐賀 35万7000石 鍋島従四位下侍従勝茂 鍋島直茂 鍋島従一位肥前守直大 外様 11 常陸 水戸 35万石 徳川正三位権中納言頼房 徳川家康 徳川従三位権中納言慶篤 三家 12 伊勢 津 32万3900石 藤堂従四位下侍従高虎 藤堂虎高 藤堂和泉守高猷 外様 13 越前 福井 32万石 松平正四位下参議忠昌 結城秀康 松平従五位下肥前守茂昭 親藩 13 因幡 鳥取 32万石 池田従四位下侍従忠継 池田輝政 池田左中将慶徳 外様 15 備前 岡山 31万5000石 池田正四位下参議輝政 池田恒興 池田従四位下左中将茂政 外様 16 陸奥 会津 28万石 保科正四位下肥後守正之 徳川秀忠 松平従四位下侍従容保 親藩 17 阿波 徳島 25万7000石 蜂須賀従四位下阿波守至鎮 蜂須賀家政 蜂須賀従四位下阿波守斉裕 外様 18 土佐 高知 24万石 山内従四位下土佐守一豊 山内盛豊 山内土佐守豊範 外様 19 近江 彦根 23万石 井伊正四位上左中将直孝 井伊直政 井伊掃部頭直憲 譜代 20 筑後 久留米 21万石 有馬従四位下侍従豊氏 有馬則頼 有馬左中将頼咸 外様 21 出羽 久保田 20万5000石 佐竹右京大夫義宣 佐竹義重 佐竹義堯 外様 22 陸奥 盛岡 20万石(格) 南部従四位下信濃守利直 南部信直 南部正三位美濃守利剛 外様 23 出雲 松江 18万6000石 松平従四位上出羽守直政 結城秀康 松平従四位上権少将定安 親藩 24 武蔵 川越 17万石 松平従四位下大和守直基 結城秀康 松平従四位下権少将直克 親藩 25 出羽 鶴岡 16万7000石 酒井左衛門尉家次 酒井忠次 酒井従四位下左衛門尉忠篤 譜代 26 大和 郡山 15万1200石 柳沢従四位下侍従吉保 柳沢安忠 柳沢従四位下侍従保申 譜代 27 伊予 松山 15万石 松平従五位下隠岐守定勝 久松俊勝 松平勝成 親藩   豊前 小倉 15万石 小笠原従五位下兵部大輔秀政 小笠原貞慶 小笠原従四位下大膳大夫忠幹 譜代   播磨 姫路 15万石 酒井河内守重忠 酒井正親 酒井侍従忠績 譜代   越後 高田 15万石 榊原式部大輔康政 榊原長政 榊原式部大輔政敬 譜代   出羽 米沢 15万石 上杉従三位権中納言景勝 長尾政景 上杉侍従斉憲 外様 32 讃岐 高松 12万石 松平従四位上讃岐守頼重 徳川頼房 松平従四位上権少将頼聡 親藩 33 相模 小田原 11万3000石 大久保相模守忠隣 大久保忠世 大久保従四位下加賀守忠礼 譜代 34 伊勢 桑名 11万石 松平従五位下越中守定綱 松平定勝 松平越中守定敬 親藩   備後 福山 11万石 阿部備中守正次 阿部正勝 阿部主計頭正方 譜代   下総 佐倉 11万石 堀田従四位下権少将正俊 堀田正盛 堀田従五位下相模守正倫 譜代 37 筑後 柳川 10万9600石 立花侍従宗茂 高橋紹雲 立花左少将鑑寛 外様 38 若狭 小浜 10万3000石 酒井備後守忠利 酒井正親 酒井従四位下若狭守忠氏 譜代 39 山城 淀 10万2000石 稲葉従五位下佐渡守正成 林 正三 稲葉従四位下民部大輔正邦 譜代 40 陸奥 二本松 10万700石 丹羽従三位加賀守長重 丹羽長秀 丹羽左京大夫長国 外様 41 美作 津山 10万石 結城正三位権中納言秀康 徳川家康 松平正四位下権中納言慶倫 親藩   武蔵 忍 10万石 松平従四位下侍従忠明 奥平信昌 松平従四位上権左少将忠国 親藩   陸奥 棚倉 10万石 松平従四位下周防守康重 松平康親 松平従四位下侍従康英 譜代   豊前 中津 10万石 奥平侍従家昌 奥平信昌 奥平大膳大夫昌服 譜代   美濃 大垣 10万石 戸田従四位下采女正氏鉄 戸田一西 戸田従四位下侍従氏彬 譜代   信濃 松代 10万石 真田伊豆守信之 真田昌幸 真田右京大夫幸教 外様   伊予 宇和島 10万石 伊達遠江守秀宗 伊達政宗 伊達遠江守宗徳 外様   陸奥 弘前 10万石 津軽右京大夫為信 大浦守信 津軽大隅守順承 外様   越中 富山 10万石 前田利次 前田利常 前田従四位下淡路守利同 外様   加賀 大聖寺 10万石 前田従四位下侍従利政 前田利常 前田利鬯 外様   対馬 府中 10万石(格) 宗 侍従義智 宗 将盛 宗 侍従重政 外様   下野 喜連川 10万石(格) 喜連川左馬頭頼氏 喜連川頼純 喜連川左馬頭縄氏 外様   越後 新発田 10万石 溝口従五位下伯耆守秀勝 溝口勝政 溝口従四位下主膳正直溥 外様 54 常陸 土浦 9万5000石 土屋従四位下侍従数直 土屋忠直 土屋従四位下采女正寅直 譜代 55 上野 高崎 8万2000石 松平従四位下侍従信興 松平信綱 松平従五位下右京亮輝聲 譜代 56 武蔵 川越 8万400石 松平従四位下周防守康重 松平康親 松平従四位下侍従康英 譜代 57 播磨 明石 8万石 松平従四位下侍従直良 結城秀康 松平従四位下権中将慶憲 親藩   下総 古河 8万石 土井従四位下大炊頭利勝 水野信元 土井従五位下大炊頭利則 譜代   常陸 笠間 8万石 牧野従四位下備後守成貞 牧野儀成 牧野従四位下越中守貞直 譜代 60 下野 宇都宮 7万7000石 戸田従五位下土佐守尊次 戸田忠次 戸田従四位下越前守忠恕 譜代 61 越後 長岡 7万4000石 牧野従五位下右馬允康成 牧野成定 牧野従四位下備前守忠恭 譜代 62 肥前 小城 7万3000石 鍋島従五位下紀伊守元茂 鍋島勝茂 鍋島紀伊守直虎 外様 63 日向 延岡 7万石 内藤従四位下左馬頭政長 内藤家長 内藤従五位下備後守政挙 譜代   丹後 宮津 7万石 本庄従四位下因幡守宗資 本庄宗正 本庄従四位下図書頭宗秀 譜代   肥前 島原 7万石 松平従五位下主殿頭忠利 松平家忠 松平従五位下主殿頭忠和 譜代   三河 吉田 7万石 松平従四位下伊豆守信綱 松平久綱 松平従五位下刑部大輔信古 譜代   豊後 岡 7万石 中川修理大夫秀成 中川清秀 中川修理大夫久昭 外様 68 出羽 新庄 6万8000石 戸沢右京亮政盛 戸沢盛安 戸沢上総介正実 外様 69 肥前 平戸 6万1700石 松浦肥前守鎮信 松浦隆信 松浦正二位肥前守詮 外様 70 石見 浜田 6万1000石 松平従四位下侍従清武 徳川綱重 松平従四位下右近将監武聡 親藩 71 丹波 篠山 6万石 青山播磨守忠成 青山忠門 青山左京大夫忠敏 譜代   上野 館林 6万石 秋元越中守長朝 秋元元景 秋元但馬守礼朝 譜代   伊勢 亀山 6万石 石川従五位下左衛門大夫康通 石川家成 石川総脩 譜代   遠江 浜松 6万石 井上従五位下主計頭正就 井上清秀 井上従四位下河内守正直 譜代   肥前 唐津 6万石 小笠原壱岐守忠知 小笠原秀政 小笠原中務大輔長国 譜代   信濃 松本 6万石 戸田従四位下丹波守康長 甚平某 戸田従五位下丹波守光則 譜代   近江 膳所 6万石 本多従五位下縫殿助康俊 酒井忠次 本多従五位下主膳正康穣 譜代   三河 西尾 6万石 松平従五位下和泉守家乗 松平真乗 松平従五位下和泉守乗秩 譜代   伊予 大洲 6万石 加藤左近大夫貞泰 加藤光泰 加藤遠江守泰秋 外様   周防 岩国 6万石 吉川従四位下侍従広家 吉川元春 吉川従五位下駿河守経幹 外様   陸奥 中村 6万石 相馬大膳亮利胤 相馬義胤 相馬大膳大夫充胤 外様 82 下総 関宿 5万8000石 久世従四位下侍従広之 久世広宣 久世従五位下隠岐守広文 譜代 83 和泉 岸和田 5万3000石 岡部従五位下内膳正長盛 岡部正綱 岡部正五位下筑前守長寛 譜代   信濃 上田 5万3000石 松平従五位下伊賀守忠晴 松平信吉 松平従五位下伊賀守忠礼 譜代   伊勢 久居 5万3000石 藤堂佐渡守高通 藤堂高次 藤堂佐渡守高聴 外様   播磨 竜野 5万3000石 脇坂従五位下中務少輔安治 脇坂安明 脇坂淡路守安斐 外様 87 肥前 蓮池 5万2000石 鍋島従五位下甲斐守直澄 鍋島勝茂 鍋島甲斐守直紀 外様 88 讃岐 丸亀 5万1500石 京極従三位参議高次 京極高吉 京極佐渡守朗徹 外様 89 日向 飫肥 5万1000石 伊東修理大夫祐慶 伊東祐兵 伊東左京大夫祐相 外様 90 伊予 西条 5万石 松平従四位下左京大夫頼純 徳川頼宣 松平従四位下権少将頼英 親藩   備中 松山 5万石 板倉従四位下伊賀守勝重 板倉好重 板倉正四位下伊賀守勝静 譜代   遠江 掛川 5万石 太田備中守資宗 太田重正 太田備中守資美 譜代   越後 村上 5万石 内藤従五位下豊前守信成 島田景信 内藤従五位下豊前守信民 譜代   三河 岡崎 5万石 本多従五位下中務大輔忠勝 本多忠高 本多従四位下美濃守忠民 譜代   丹波 亀山 5万石 松平従四位下紀伊守家信 松平家忠 松平従五位下豊前守信義 譜代   出羽 山形 5万石 水野従五位下監物忠元 水野忠守 水野従四位下侍従忠精 譜代   駿河 沼津 5万石 水野従四位下出羽守忠友 水野忠穀 水野従四位下出羽守忠誠 譜代   陸奥 三春 5万石 秋田従五位下秋田城介実季 安東愛季 秋田安房守肥季 外様   越前 丸岡 5万石 有馬修理大夫晴信 有馬義直 有馬遠江守道純 外様   豊後 臼杵 5万石 稲葉従五位下侍従典通 稲葉一鉄 稲葉右京亮久通 外様   筑前 秋月 5万石 黒田甲斐守長興 黒田長政 黒田従五位下甲斐守長徳 外様   長門 府中 5万石 毛利正三位参議秀元 穂井田元清 毛利従三位左京亮元周 外様 103 美濃 郡上 4万8000石 青山大蔵少輔幸成 青山忠成 青山大蔵少輔幸哉 譜代 104 石見 津和野 4万3000石 亀井武蔵守茲矩 湯永 綱 亀井隠岐守茲監 外様 105 越前 大野 4万石 土井従四位下能登守利房 土井利勝 土井従五位下能登守利恒 譜代   駿河 田中 4万石 本多従四位下豊前守正永 本多正直 本多従五位下紀伊守正訥 譜代   摂津 尼崎 4万石 松平従五位下大膳亮忠重 松平忠頼 松平従五位下兵庫頭忠興 譜代   越前 鯖江 4万石 間部従四位下越前守詮房 西田清貞 間部下総守詮道 譜代   周防 徳山 4万石 毛利従五位下日向守就隆 毛利輝元 毛利従三位淡路守元蕃 外様 110 紀伊 田辺 3万8800石 安藤帯刀直次 安藤基能 安藤飛騨守直裕 譜代 111 摂津 高槻 3万6000石 永井従五位下日向守直清 永井直勝 永井従五位下飛騨守直矢 譜代   摂津 三田 3万6000石 九鬼長門守守隆 九鬼嘉隆 九鬼従四位下長門守隆義 外様 113 伊予 今治 3万5000石 松平従四位上美作守定房 松平定勝 松平従五位下駿河守勝道 親藩   越後 与板 3万5000石 井伊右近大夫直勝 井伊直政 井伊従五位下兵部少輔直安 譜代   上野 沼田 3万5000石 土岐従五位下山城守定義 土岐定政 土岐従五位下山城守頼之 譜代   尾張 犬山 3万5000石 成瀬従五位下隼人正正成 成瀬正一 成瀬従五位下隼人正正肥 譜代   遠江 横須賀 3万5000石 西尾従五位下隠岐守吉次   西尾従五位下隠岐守忠篤 譜代   丹後 田辺 3万5000石 牧野従四位下内匠頭信成 牧野康成 牧野従五位下河内守誠成 譜代   紀伊 新宮 3万5000石 水野出雲守重央 水野忠分 水野大炊頭忠幹 譜代   肥後 熊本新田 3万5000石 細川従五位下若狭守利重 細川光尚 細川従五位下若狭守利永 外様 121 信濃 高遠 3万3000石 内藤従四位下侍従重頼 内藤正勝 内藤従五位下若狭守頼直 譜代 122 丹波 福知山 3万2000石 朽木従五位下民部少輔稙綱 朽木元綱 朽木近江守綱張 譜代   美濃 加納 3万2000石 永井従四位下侍従尚庸 永井尚政 永井従五位下肥前守尚服 譜代   豊後 杵築 3万2000石 松平従五位下大隅守重勝 松平重吉 松平従五位下中務大輔親良 譜代 125 美濃 高須 3万石 松平従四位下摂津守義行 徳川光友 松平義勇 親藩   出雲 広瀬 3万石 松平従五位下上野介近栄 松平直政 松平直己 親藩   陸奥 磐城平 3万石 安藤従五位下対馬守重信 安藤基能 安藤従五位下対馬守信勇 譜代   陸奥 福島 3万石 板倉従五位下内膳正重昌 板倉勝重 板倉勝顕 譜代   上野 安中 3万石 板倉重形 板倉重宗 板倉主計頭勝殷 譜代   志摩 鳥羽 3万石 稲垣長茂 稲垣重宗 稲垣長明 譜代   下野 烏山 3万石 大久保伊豆守忠高 大久保忠知 大久保佐渡守忠順 譜代   上総 久留里 3万石 黒田従四位下直邦 中山直張 黒田伊勢守直和 譜代   信濃 高島 3万石 諏訪因幡守頼水 諏訪頼忠 諏訪従四位下因幡守忠誠 譜代   美濃 今尾 3万石 竹腰山城守正信 竹腰正時 竹腰伊予守正旧 譜代   下野 壬生 3万石 鳥居従五位下伊賀守忠英 鳥居忠則 鳥居従五位下丹波守忠宝 譜代   美濃 岩村 3万石 松平従五位下能登守乗政 松平乗寿 松平従五位下能登守乗命 譜代   出羽 上山 3万石 松平従五位下越中守信通 松平信之 松平従五位下山城守信庸 譜代   安芸 広島新田 3万石 浅野宮内少輔長賢 浅野綱長 浅野近江守長厚 外様   因幡 鹿奴 3万石 池田壱岐守仲澄 池田光仲 池田伊勢守仲建 外様   但馬 出石 3万石 仙石越前守秀久 仙石久盛 仙石讃岐守久利 外様   伊予 吉田 3万石 伊達宮内少輔宗純 伊達秀宗 伊達若狭守宗孝 外様   陸奥 一関 3万石 田村因幡守建顕 伊達忠宗 田村通顕 外様   肥後 宇土 3万石 細川従五位下丹後守行孝 細川忠興 細川豊前守行真 外様   越後 村松 3万石 堀従五位下丹後守直時 堀 直寄 堀従五位下左京亮直賀 外様   蝦夷 福山 3万石 松前従五位下伊豆守慶広 蠣崎季広 松前従五位下志摩守徳広 外様 146 日向 高鍋 2万7000石 秋月長門守種長 秋月種実 秋月長門守種殷 外様   肥前 大村 2万7000石 大村丹後守喜前 大村純忠 大村丹後守純煕 外様   丹波 園部 2万7000石 小出伊勢守吉親 小出吉政 小出伊勢守英尚 外様   日向 佐土原 2万7000石 島津右馬頭以久 島津忠将 島津侍従忠寛 外様 150 大和 高取 2万5000石 植村従五位下出羽守家政 植村家次 植村従五位下出羽守家保 譜代   出羽 松山 2万5000石 酒井大学頭忠恒 酒井忠勝 酒井紀伊守忠良 譜代   常陸 松岡 2万5000石 中山従五位下備前守信吉 中山家範 中山従五位下備中守信徴 譜代   備中 鴨方 2万5000石 池田信濃守政言 池田光政 池田信濃守政詮 外様   近江 水口 2万5
作者: 真田豪    时间: 2004-11-11 20:59     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

俺也转了个繁体的~~`呵呵~~~``[em01]
作者: 奥多文斯    时间: 2004-11-11 21:25     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

那图我砸弄不上啊
作者: 真田豪    时间: 2004-11-11 21:30     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

[PP][B]以下是引用[I]奥多文斯[/I]在2004-11-11 21:25:17的发言:[/B] 那图我砸弄不上啊 乃有RPWT~~~~~呵呵![em01][em01]~~~~先转换成JPG格式~~~~BMP格式的太大了,当然传不上来~~~~[em01][em01]
作者: 踏月追风    时间: 2004-11-14 08:40     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

有些地方因围海造田,石高有变化,怎么算
作者: 真田豪    时间: 2004-11-14 09:17     标题: Re:[转帖]日本古代的国.

晕~~~~~哪能拿现代的与江户时代的比~~~~而且石高数知道个大概就可以了吧~~~~弄那么精细干嘛啊~~~~汗~~~[em06][em01]
作者: 圣殿骑士    时间: 2006-3-1 19:51     标题: re:有图吗?

有图吗?
作者: 真田豪    时间: 2006-7-17 23:43     标题: re:奥多这个其实没转全~~~~俺给补上吧~~...

奥多这个其实没转全~~~~俺给补上吧~~~ 令國制起自奈良時代,至明治維新實行廢藩置縣後再行分劃,其間不斷進行改劃。令國制之「國」乃根據日本天武天皇(てんむてんおう)(Tenn-mu-Tenn-ou)所創之「五畿七道」作行政分區而劃分,除在明治時新加之「北海道」外,共有六十多國。令國制同時根據中國當時的地方行政「州」來命名地方行政區,所以各國都有「州」的俗稱,各國之國府則是主要街道及官道之要站。 當時六十多國分別分佈於五畿七道(ごきしちどう)(Go-ki-Shichi-Dou)內 五畿(ごき)(Goki),即天皇京畿一帶之五國,又稱「畿內」(きない)(Kinai): 山城、大和、河內、和泉、攝津 七道(しちどう)(Shichi-Dou)分為東山道、東海道、北陸道、南海道、西海道、山陽道及山陰道;依照日本地理及地勢命名。 北海道(ほっかいどう)(Hok-kai-dou)共一國(十區): 蝦夷(北海道) 東山道(とうさんどう)(Tou-san-dou)共六國: 美濃、上野、下野、飛驒、近江、信濃 東海道(とうかいどう)(Tou-kai-dou)共十五國: 伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、安房、上總、下總、常陸 北陸道(ほくりくどう)(Hoku-riku-dou)共七國: 越後、越中、越前、佐渡、能登、加賀、若狹 山陽道(さんょうどう)(Sann-you-dou)共七國: 播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門 山陰道(さんいんどう)(Sann-in-dou)共八國: 丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見、隱岐 南海道(なんかいどう)(Nann-kai-dou)共六國: 紀伊、淡路、阿波、讚岐、伊予、土佐 西海道(さいかいどう)(Sai-kai-dou)共十一國: 豐前、豐後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩、對馬、壹岐 蝦夷(えぞ) (Ezo):屬北海道。現在之北海道地區。大和政權統治以外之地,以中國「化外之地」之概念起名,土著愛奴人之居地。鎌倉時代向北縮少,後來退至渡島半島及津輕半島一帶。明治二年(1869)及明治十五年(1882)前後分為渡島(おしま)(Oshima)、後志(しりへし)(Shiriheshi)、膽振(いふり)(Ifuri)、石狩(いしかり)(Ishikari)、天盬(てしほ)(Teshiho)、北見(きたみ)(Kitami)、日高(ひたか)(Hitaka)、十勝(とかち)(Tokachi)、釧路(くしろ)(Kushiro)、根室(ねもろ)(Nemoro)及千島(ちしま)(Chishima)十一國/區。 陸奧國(むつ)(Mutsu):屬東山道。俗稱奧州。現在之福島、宮城、岩手、青森、秋田諸縣,總石高大約167萬石(根據慶長年間之檢地)。九世紀時與蝦夷半分,大化革新後以後白河以北之地稱「道奧」(道之奧),意即「道路遠奧之地」。律令制時代改稱陸奧;元明天皇和銅五年(712)分為陸奧、出羽兩國。明治四年的廢藩置縣後,分為陸奧、陸中、岩代、磐城。 出羽國(でわ)(Dewa):屬東山道。俗稱羽州。石高約32萬石(慶長時),現在之山形、秋田縣。遠征蝦夷族阿倍比羅夫後開拓而成,分屬道奧、越國,和銅元年(708)脫離越後國,和銅五年(712)自成一國,外加最上、置賜兩郡。室町時代屬關東管領管轄。明治元年改分羽前、羽後二國。最後演化為山形、秋田縣。 越中國(えっちゅう)(Etsu-chuu):屬北陸道。石高約20萬石(慶長時)。現在之富山縣。古代越國(こし, Koshi))之一,天武天皇時代將其三分國(越前、中、後),大寶二年(702),擁越後國頸城、古志、魚沼、蒲原四郡為國。明治四年的廢藩置縣後,與新川縣合併為石川縣,明治16年再獨立為富山縣。 越前國(えちぜん)(Echi-zen):屬北陸道。石高約50萬石(慶長時)。現在福井縣東北部。古代越國之一,天武天皇時代將其三分國(越前、中、後);七世紀後期,除福井郡半部外,加入敦賀郡、丹生郡、足羽郡、大野郡、坂井郡、江沼郡、加賀郡、 羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡十一郡構成越前國。明治四年的廢藩置縣後,敦賀、足羽、福井縣分置。 越後國(えちご)(Echi-go):屬北陸道。石高約39萬石(慶長時)。現在之新潟縣。古代越國之一,天武天皇時代將其三分國(越前、中、後);大寶二年(702),頸城、古志、魚沼、蒲原四郡劃為越中國;和銅元年(708)分為越後、出羽兩國。明治四年的廢藩置縣後,改名新潟縣。 佐渡國(さど)(Sado):屬北陸道。石高約1萬7000石慶長時)。現在之佐渡全境。初見載於文武天皇四年(700),古代越國一部,天平十五年(743)後屬越後國,天平勝寶四年(752)再分。廢藩置縣後,曾改稱佐渡、相川縣,最後編入新潟縣。 加賀國(かが)(Kaga):屬北陸道。現在之石川縣南部。俗稱加州、賀州。石高約35萬石(慶長時)。古屬越國。大化改新時編入越前國。弘仁十四年(823)擁加賀郡及江沼郡為加賀國。室町時代一向一揆之熱門地。廢藩置縣後,明治十六年,與能登国合為石川縣。 能登國(のと)(Noto):屬北陸道。俗稱能州。石高約21萬石(慶長時)。現在之石川縣北部半島。古代之能登・羽咋二國,屬越前國。養老二年(718),從越前國擁羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡四郡自分。聖武天皇天平十三年(741)再與越中國合一,淳仁天皇天平寶字元年(757)再為一國。明治四年廢藩置縣後與七尾縣,於同五年為石川縣之一部。 若狹國(わかさ)(Wakasa):屬北陸道。俗稱若州。石高約8萬5千石。現在福井縣西南部。古屬越國,為交通要道。 常陸國(ひたち)(Hitachi):屬東海道。俗稱常州。石高約53萬石(慶長時)。現在之茨城縣全境。大化改新後自道奧國獨立,併合高、久自、仲、新治、筑波、茨城六國統合為一國。廢藩置縣後茨城與新治分離。明治八年合併,佔茨城縣北、東部。 上總國(かずさ)(Kazu-sa):屬東海道。俗稱上總。石高約38萬石。現在之千葉縣南部。古稱總國之一,曾稱上狹。大化改新,養老二年(718),與下總國、安房國分立。天平十三年(741)再與安房國併合。天平寶字元年(757)再分。明治年間,與下總、安房再次合為千葉縣。 下總國(しもうさ)(Shimou-sa):屬東海道。俗稱下總。石高約40萬石。現在之千葉縣北部。大化改新後,與上總國、安房國分立。明治年間,與上總、安房再次合為千葉縣。 安房國(あわ)(A-wa):屬東海道。俗稱房州。石高約43萬石。現在之千葉縣最南部。大化改新,養老二年(718),與上總國分立,擁平群郡、安房郡、朝夷郡、長狹郡。天平十三年(741)再與上總國併合。天平寶字元年(757)再分。明治年間,與上總、下總再次合為千葉縣。為捕鯨業主要地。 上野國(こうずけ)(Kou-zuke):屬東山道。俗稱上州。石高約50萬石(慶長時)。現在之群馬縣。古代與下野國、那須國合稱為「毛野國」。四世紀時毛野國分為上毛野國成立。大化改新後,毛野國分為上、下兩國—上野國與下野國。古代東國經營之重點;古代牧馬名産地。廢藩置縣後分為七個縣,明治9年合為群馬縣。 下野國(しもつけ)(Shimo-tsuke):屬東山道。俗稱下州。石高約37萬石(慶長時)。現在之栃木縣。古代與上野國、那須國合稱為「毛野國」。四世紀時毛野國分為下毛野國成立。大化改新後,毛野國分為上、下兩國—上野國與下野國。明治四年,廢藩置縣後分置栃木、宇都宮兩縣,同九年統合為栃木縣。 武藏國(むさし)(Musashi):屬東海道,俗稱武州。石高約67萬石(慶長時)。現在之東京、埼玉縣全境、神奈川縣横濱市、川崎市全境。古代無邪志國、胸刺國、知夫國之國。大化改新後合為一國。初屬東山道,寶龜二年(771),入屬東海道。鎌倉時代,成為關東八國之一。廢藩置縣後,分置八縣,最後合歸為埼玉縣、東京府、神奈川縣。 相模國(さがみ)(Sagami):屬東海道,俗稱相州。石高約20萬石(慶長時)。現在之神奈川縣大部分地區。古代相武、師長兩國與鎌倉別之地,大化改新後合為一國。廢藩置縣後,小田原、足柄縣併入神奈川縣。 伊豆國(いず)(I-zu):屬東海道,俗稱豆州。石高約7萬石(慶長時)。現在之靜岡縣東及東京都伊豆諸島。古代温泉勝地及重犯流放地。天武九年(680),與駿河國分離,擁三郡(後增至四郡)。廢藩置縣後,於明治九年伊豆半島併入静岡縣,伊豆七島編入東京府。 駿河國(するが)(Suruga):屬東海道,俗稱駿州、駿河。石高約15萬石(慶長時)。現在之靜岡縣中東部。古稱珠流河;大化改新時成立,天武十年(681)與伊豆國分離。平安時代屬上國格,伊勢神宮之莊園屬地。明治四年,廢藩置縣後編入静岡縣。 甲斐國(かい)(Kai):屬東海道,俗稱甲州。石高約23萬石(慶長時)。現在之山梨縣。古來之山國。七世紀前後成立。廢藩置縣後,改名甲府縣,再成為山梨縣。 遠江國(とおとうみ)(Too-toumi):屬東海道,俗稱遠州。石高約26萬石(慶長時)。現在之靜岡縣西部。因境內之濱名湖俗稱「遠之淡海」而得名「遠海(江)之國」。大化改新(645)後,由素賀、久努等諸國統合為一國。明治四年廢藩置縣後改稱堀江縣、濱松縣,同9年與静岡縣合併。 三河國(みかわ)(Mikawa):屬東海道,俗稱三州。石高約29萬石(慶長時)。現在之愛知縣東部。大化改新時與穗國合為一國。明治四年廢藩置縣後改稱額田縣,同五年改稱愛知縣。 信濃國(しなの)(Shinano):屬東山道,俗稱信州、科野。石高約37萬石(慶長時)。現在之長野縣。養老五年(721)與南部之諏訪國分置,天平三年 (731)再次合併。平安時代之莊園重地、牧馬區之一。明治四年廢藩置縣後分置長野、筑摩兩縣,同九年獨立為長野縣。 尾張國(おわり)(Owari):屬東海道,俗稱尾州。石高約57萬石(慶長時)。現在之愛知縣西部。以木曾川與美濃國分置。明治五年廢藩置縣後併入愛知縣。 美濃國(みの)(Mino):屬東山道,俗稱濃州。古稱三野、御野。石高約54萬石(慶長時)。現在之岐阜縣南部。大化改新時立為一國。後加信濃之木曾地方而正式成形。廢藩置縣後為岐阜縣南部。 飛驒國(ひだ)(Hida):屬東山道,俗稱飛州。古稱斐太、斐陀。石高約4萬石(慶長時)。現在之岐阜縣北部。大化改新時立為一國。廢藩置縣後初為筑摩縣,明治九年與美濃合為岐阜縣。 近江國(おうみ)(Ou-mi):屬東山道,俗稱江州。石高約78萬石(慶長時)。現在之滋賀縣。古稱淡海,因境內之琵琶湖俗稱「近之淡海」而得名「近海(江)之國」。大化改新時設置,廢藩置縣後為滋賀縣。 伊勢國(いせ)(Ise):屬東海道,俗稱勢州。石高約57萬石(慶長時)。現在之三重縣東南部。古代神國、皇大神宮之鎮座地,大化改新後自成一國。於七世紀,孝德天皇時代與志摩國、伊賀國合為一國。天武九年(680)伊賀國分置;八世紀時志摩國分立。廢藩置縣後分為安濃津、度會縣,明治九年合併為三重縣。 伊賀國(いが)(Iga):屬東海道,俗稱伊州、賀州。石高約10萬石(慶長時)。現在之三重縣西北部。大化改新後與伊勢國合併;天武九年(680)獨立為伊賀國,擁阿拜、山田、伊賀、名張四郡。廢藩置縣後為安濃津縣,明治五年編入三重縣。 志摩國(しま)(Shima):屬東海道,俗稱志州。石高約1萬8000石(慶長時)。現在之三重縣南端。因志摩半島而得名;於七世紀,孝德天皇時代與伊勢國、伊賀國合為一國。八世紀時自立。本只有志摩郡,後分為英虞郡、答志郡。明治九年合併為三重縣。 大和國(やまと)(Yamato):屬畿內,俗稱和州。石高約45萬石(慶長時)。現在之奈良縣。大化改新時自立為一國。古稱倭、大倭、大養德;淳仁天皇天平寶字元年(757)始以「大和」名之。因古代大和皇朝之發祥地而得名。奈良時代之都。廢藩置縣後改名奈良県、堺県、大阪府。明治二十年正式改名奈良縣。 紀伊國(きい)(Kii):屬南海道,俗稱紀州。石高約24萬石(慶長時)。現在之三重縣西部及和歌山縣。古稱「木之國」,因「木之國」之音變長,和銅六年(713)正式名為紀伊。大化改新自立一國。廢藩置縣後分為三重縣一部及和歌山縣。 和泉國(いずみ)(Izumi):屬畿內,俗稱泉州。石高約14萬石(慶長時)。現在之大阪府南部。大和朝廷之御料地,由於該地有地下水泉湧出,故名和泉。靈龜二年(716),以河內國大鳥、和泉、日根三郡劃為和泉監管地。天平十二年(740)併入河內國,入天平寶字元年(757)再次成立和泉國。廢藩置縣後稱堺縣,明治十四年(1881)編入大阪府。 河內國(かわち)(Kawachi):屬畿內,俗稱河州。石高約24萬石(慶長時)。現在之大阪府南部。明治十四年編入大阪府。現為東大阪市内一部分。 山城國(やましろ)(Yamashiro):屬畿內,俗稱山州、城州。石高約23萬石(慶長時)。現在之京都府南部。大化改新後自立一國。古稱山背、山代,延暦十三年(794),桓武天皇改置平安京,以「從山河襟帯而自然作城之名勝」而改名山城。廢藩置縣後分置京都府及淀縣;後合併為京都府。 攝津國(せっつ)(Settsu):屬畿內(或山陽道),俗稱攝州。石高約16萬石(慶長時)。現在之兵庫縣東部。古代通稱津國,和銅六年(713年)改稱攝津國。天武天皇置攝津職,擁務古(武庫)水門之良港,因與大陸(中國、朝鮮)交易而繁榮。明治四年廢藩置縣後,置尼崎、三田兩藩為兵庫縣東部,其他部分編入大阪府北部。 丹波國(たんば)(Tan-ba):屬山陰道,俗稱丹州、丹南、南丹。石高約26萬石(慶長時)。現在之兵庫縣東北部及京都府中部。古稱旦波。七世紀成立,和銅六年(713),北部五郡劃為丹後国。明治四年廢藩置縣後分入兵庫縣及京都府。 丹後國(たんご)(Tan-go):屬山陰道,俗稱丹北、北丹。石高約11萬石(慶長時)。現在之京都府北部。和銅六年(713),丹波國北部五郡(加佐、與謝、丹波(後之中郡)、竹野、熊野)劃為国。明治四年廢藩置縣後劃入京都府。 淡路國(あわじ)(Awaji):屬南海道,俗稱淡州。石高約6萬石(慶長時)。現在之兵庫縣南部之淡路島。七世紀成立,古稱淡道;後與阿波國合稱栗國,本身稱「阿波路」,由津名郡、三原郡組成。明治四年廢藩置縣後劃入兵庫縣。 阿波國(あわ)(Awa):屬南海道,俗稱阿州。石高約18萬石(慶長時)。現在之德島縣。古代與淡路國合稱栗國;和銅六年(713)正稱阿波。後因江戶德島藩而於廢藩置縣後分置德島縣、名東縣,後來統稱德島縣。 讚崎國(さぬき)(Sanuki):屬南海道,俗稱讚州。石高約12萬6000石(慶長時)。現在之香川縣。大化改新後自立一國,外加盬飽、小豆、直島諸島,江戶時代時,小豆、直島諸島劃為備前國領。廢藩置縣後曾改稱香川、名東、愛媛,後正稱香川縣。 伊予國(いよ)(Iyo):屬南海道,俗稱予州。石高約36萬6000石(慶長時)。現在之愛媛縣。大化改新後自立一國,廢藩置縣後成為愛媛縣。 土佐國(とさ)(Tosa):屬南海道,俗稱土州。石高約10萬石(慶長時)。現在之高知縣。古名土左;古代都佐、波多兩國在大化改新後合併為一國。廢藩置縣後成為高知縣。 播磨國(はりま)(Harima):屬山陽道,俗稱播州。石高約36萬石(慶長時)。現在之兵庫縣西南部。大化改新後,合併針間、鴨、明石三國為一。明治四年廢藩置縣後稱為姫路縣,後來改名飾磨縣,同九年合併入兵庫県。 但馬國(たじま)(Tajima):屬山陰道,俗稱但州。石高約11萬石(慶長時)。現在之兵庫縣北部。大化改新後立為一國。明治四年廢藩置縣後分置豊岡、出石、村岡三縣,後來曾統合為豊岡縣,最後編入兵庫縣。 美作國(みまさか)(Mimasaka):屬山陽道,俗稱作州。石高約19萬石(慶長時)。現在之岡山縣北部。古代備中國之一地,和銅六年(713)後擁備前國英多、勝田、苫田、久米、真嶋及大庭六郡為一國。平安時代莊園之地;廢藩置縣後分置津山、勝山、鶴田三縣,後統稱北條縣,最後於明治九年編入岡山縣。 備前國(びぜん)(Bizen):屬山陽道,俗稱備前。石高約34萬石(慶長時)。現在之岡山縣東部。本屬古吉備國之一部,大化革新後分為三國(備前、中、後),和銅六年(713)後劃北部六郡予美作。江戶時代時,小豆、直島諸島劃為國領。廢藩置縣後併入岡山縣。 備中國(びっちゅう)(Bicchuu):屬山陽道,俗稱備中。石高約18萬石(慶長時)。現在之岡山縣西部。古吉備國之一部,古名「吉備道中國」,大化革新後分為三國(備前、中、後)。廢藩置縣後改名深津、小田縣,明治五年正式併入岡山縣西部。 備後國(びんご)(Bin-go):屬山陽道,俗稱備後。石高約19萬石(慶長時)。現在之廣島縣東部。古吉備國之一部。大化革新後分為三國(備前、中、後)。廢藩置縣後本併入岡山縣,明治九年改編入廣島縣東部。 安芸國(あき)(Aki):屬山陽道,俗稱芸州。石高約19萬石(慶長時)。現在之廣島縣西部。古名阿岐;因為古代交通之要地之繁榮。大化改新後立為一國,改名安芸,乃源平時代,平氏莊園之地。廢藩置縣後併入廣島縣。 因蟠國(いなば)(Itaba):屬山陰道,俗稱因州。石高約9萬石(慶長時)。現在之鳥取縣東部。古稱稻葉,為古稻葉國,大化改新後改名因幡。廢藩置縣後本併入鳥取縣。 伯耆國(ほうき)(Houki):屬山陰道,俗稱伯州。石高約21萬石(慶長時)。現在之鳥取縣西部。為古伯耆國,大化改新後立為一國,名稱不變。廢藩置縣曾改名鳥取縣、島根縣,明治十四年合為鳥取縣西部。 出雲國(いずも)(Izumo):屬山陰道,俗稱雲州。石高約19萬石(慶長時)。現在之鳥根縣東部。古出雲皇朝之地,大化改新後立為一國,名稱不變。明治四年廢藩置縣,編入島根縣。 石見國(いわみ)(Iwami):屬山陰道,俗稱石州。石高約11萬石(慶長時)。現在之鳥根縣西部。以石見銀山而得名。明治四年廢藩置縣,編入島根縣。 周防國(すおう)(Suwou):屬山陽道,俗稱防州。石高約16萬石(慶長時)。現在之山口縣南部。古名周芳;七世紀末改名周防。大化改新後,併大島、熊毛、玖珂、都濃、佐波、吉敷六郡為一國。明治四年廢藩置縣後與長門國合為山口縣。 長門國(ながと)(Nagato):屬山陽道,俗稱長州。石高約27萬石(慶長時)。現在之山口縣北部。古稱穴門、穴戶;古代穴門、阿武國之地,七世紀時合併為穴門國,七世紀末改名為長門國。明治四年廢藩置縣後分為山口、豐浦、清末三縣,與岩國縣編入為山口縣。 隱岐國(おき)(Woki):屬山陰道,俗稱隱州。石高約5萬石(慶長時)。現在鳥根縣之外島。大化改新自為一國。明治四年廢藩置縣後編入鳥根縣。 對馬國(つしま)(Tsushima):屬西海道,俗稱對州。石高約16萬石(慶長時)。現在長崎縣之外島。古代對大陸交通、軍事上之要地,古稱津島;天智天皇三年(664)置設軍事機地。明治四年廢藩置縣後改稱嚴原縣,同年與九州佐賀縣合併為伊萬里縣。同5年編入長崎縣,自為嚴原町,內有四町二村。 豐前國(ぶぜん)(Buzen):屬西海道,俗稱豐前、豐州。石高約14萬石(慶長時)。現在福岡縣及大分縣之一部。古代與豐後國合稱豐國,文武天皇分為豊前、豊後兩國,自成一國。明治四年廢藩置縣後編三藩為小倉、中津、新田三縣;最後統合為小倉縣。同九年分別編入東部之大分縣及西部之福岡県。 豐後國(ぶんご)(Bungo):屬西海道,俗稱豐後、豐州。石高約42萬石(慶長時)。現在大分縣之大部分。古代與豐後國合稱豐國,文武天皇分為豊前、豊後兩國,自成一國。明治四年廢藩置縣後分置為臼杵、杵築等七縣;同九年統合為大分縣。 筑前國(ちくぜん)(Chikuzen):屬西海道,俗稱筑前,古稱筑紫前。石高約33萬石(慶長時)。現在福岡縣西北部。古代筑紫國(つくし,Tsukushi)之一部,古代大陸文化流入、國防上之要地。文武天皇二年(698)把筑紫國兩分後,自成一國;同時乃管轄西海道諸國之大宰府設置之地。明治四年廢藩置縣後黒田、秋月兩縣,同年合併為福岡縣。 筑後國(ちくご)(Chikugo):屬西海道,俗稱筑後,古稱筑紫後。石高約27萬石(慶長時)。現在福岡縣南部。古代筑紫國之一部,文武天皇二年(698)把筑紫國兩分後,自成一國。明治四年廢藩置縣後分置久留米、柳川、三池三縣,曾改名三瀦縣,同九年編入福岡縣之一部。 肥後國(ひご)(Higo):屬西海道,俗稱肥後,石高約34萬石(慶長時)。現在之熊本縣全境,古代火(肥)國之一部。大化改新後(有說持統天皇十年(696)),分為肥前國、肥後國兩國後自成一國。明治四年廢藩置縣後分置熊本、人吉兩縣,明治九年合為熊本縣。 肥前國(ひぜん)(Hizen):屬西海道,俗稱肥前,石高約22萬石(慶長時)。現在之佐賀縣及長崎縣全境,古代火(肥)國之一部。大化改新後(有說持統天皇十年(696)),分為肥前國、肥後國兩國後自成一國。明治四年廢藩置縣後分置佐賀、長崎兩縣。 日向國(ひゅうが)(Hyuuga):屬西海道,俗稱日州、向州,石高約17萬石(慶長時)。現在之宮崎縣全境。古代襲國之一部分,佔九州東南部大部分地區。和銅六年(713)分設大隅國後立一國。明治四年廢藩置縣後分置美津、都城兩縣,明治六年合為宮崎縣。 大隅國(おおすみ)(Oosumi):屬西海道,俗稱隅州,石高約18萬石(慶長時)。現在之鹿兒島縣東部。和銅六年(713)擁日向國肝杯、贈於、大隈、姶羅四郡為一國。天長元年(824)併合多褹國,明治四年廢藩置縣後併入鹿兒島縣。 薩摩國(さつま)(Satsuma):屬西海道,俗稱薩州,石高約28萬石(慶長時)。現在之鹿兒島縣西部。 九州南部、鹿兒島縣西半部之舊國名,九州隼人族之居地。大寶二年(702),從日向分出唱更國(唱更意即「守邊境」之意),數字後唱更國改名為薩麻國,八世紀末正名為薩摩國。明治四年廢藩置縣後併入鹿兒島縣。 壹岐國(いき)(Iki):屬西海道,俗稱壹州,石高不明。現在長崎縣之外島。中國史書稱一支國或一大國;日本方稱伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉,七世紀時正名壹岐。明治四年廢藩置縣後併入長崎縣。
作者: 真田豪    时间: 2006-7-17 23:46     标题: re:另外再把图补上`~~[img...

另外再把图补上`~~ 此主题相关图片 [imga]leadbbsfile/upload/2006/07/17/234707.jpg[/imga]
作者: 真田豪    时间: 2006-11-9 14:46     标题: re:继续补充:宽永年间的检地数,毕竟...

继续补充: 宽永年间的检地数,毕竟盟里是拿这个来做YY的标准,呵呵~~~ 国名 州名 石高量 北陆奥 奥州 九十万七千石 南陆奥 奥州 八十二万二千石 出羽 羽州 八十七万石 越后 四十万六千石 越中 五十三万六千石 能登 能州 二十一万石 加贺 加州 四十四万五千石 越前 越州 六十八万六千石 若狭 若州 九万八千石 佐渡 渡州 二万石 下野 野州 四十六万四千石 上野 上州 四十六万八千石 常陆 常州 七十五万六千石 武蔵 武州 八十四万石 下总 二十九万六千石 上总 三十七石八千石 安房 房州 九万一千石 甲斐 甲州 二十四万二千石 相模 相州 十九万四千石 伊豆 豆州 七万二千石 骏河 骏州 十七万二千石 远江 远州 二十八万石 三河 参州 三十五万石 尾张 尾州 五十二万石 信浓 信州 五十四万七千石 飞騨 飞州 八万三千石 美浓 浓州 五十八万一千石 近江 江州 八十三万二千石 山城 雍州 二十一万六千石 伊势 势州 五十七万二千石 伊贺 贺州 九万五千石 志摩 志州 一万七千石 大和 倭州 四十四万四千石 河内 河州 二十万八千石 和泉 泉州 十三万三千石 摂津 津州 二十九万九千石 纪伊 纪州 三十九万五千石 丹波 丹州 二十八万五千石 丹后 十二万三千石 但马 但州 十二万三千石 因幡 因州 十三万一千石 伯耆 伯州 十三万一千石 出云 云州 二十二万三千石 石见 石州 十三万七千石 隠岐 隠州 四万一千石 播磨 播州 五十二万一千石 备前 备州 二十八万九千石 备中 二十万七千石 美作 作州 二十二万七千石 备后 二十三万八千石 安芸 芸州 二十五万九千石 周防 防州 十六万四千石 长门 长州 十三万四千石 淡路 淡州 六万三千石 阿波 波州 十八万六千石 讃岐 讃州 十七万一千石 伊豫 豫州 三十八万一千石 土佐 土州 二十万二千石 筑前 筑州 五十二万二千石 筑后 二十六万二千石 豊前 豊州 三十二万一千石 豊后 二十七万四千石 肥前 肥州 五十六万一千石 肥后 五十七万四千石 日向 日州 十二万石 萨摩 萨州 二十一万五千石 大隅 隅州 十七万石 壱岐 壱州 一万五千石 対马 対州 二万石 虾夷 三万九千石




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