室町時代(安土桃山時代)の館山 |
[IMGA]http://furusato.awa.jp/modules/dbxleadbbsfile/story/21/8/27PS1.jpg[/IMGA] 室町幕府は、もともと朝廷が持っていた政治の権力を手に入れたことにより、武士だけではなく、貴族や寺社の上にもたつ政権となりました。地方については、国ごとに置かれた守護による支配を強め、新たな地方支配者である守護大名が生まれます。 一方、農業生産が著しく発展し、農民たちが、新しい結びつきをつくります。彼らは、地域の武士とも結びつき、守護大名と対決するようになります。こうして社会が大きく変動し、戦国時代が幕を開けたのです。 戦国大名里見氏は、どのように生まれ、どのような支配を進めたのでしょうか。 【歴史>里見氏】>里見氏 [HR] [IMGA]http://furusato.awa.jp/modules/dbxleadbbsfile/story/21/8/26PE.gif[/IMGA] 室町時代になっても、鎌倉が関東の中心でした。そして安房にもそのまま、鎌倉の有力者や大きなお寺、神社の所領が沢山ありました。しかし安房の武士たちは、領地を広げようと、所領争いをするようになっていきました。[IMGA]http://furusato.awa.jp/modules/dbxleadbbsfile/story/21/8/26PM1.gif[/IMGA] 安房と鎌倉との関係は依然として深く、この頃になると、「やぐら」と呼ばれる武士や僧侶の墓が沢山つくられています。山の中腹に四角い穴を掘って、五輪塔や宝きょう印塔という石塔を置いたり、中の壁に刻んだりしています。これは鎌倉と房総半島にだけ集中してつくられたもので、鎌倉との強いつながりを示しています。 鎌倉には、関東の将軍である鎌倉公方と呼ばれる足利氏と、その補佐をする上杉氏という大名がいました。この大きな勢力が対立を始めることで、関東地方の戦国時代が始まりました。 安房には足利氏と上杉氏の領地があったのですが、白浜や千倉に勢力を持っていた上杉氏が、海上交通で優勢でした。そこで足利氏は、側近の里見義実に命じて、安房から上杉氏を追い出す作戦にでました。義実は、それまでの安房の有力者だった安西氏や、上杉氏の家臣だった白浜の木曽氏などを味方につけて、安房の上杉勢力の追い出しに成功するのです。 やがて里見氏は安房の武士たちを従えるようになりました。1500年頃には、九重駅に近い稲村城を、安房を支配するための本拠地にしていました。その後、一族の内乱がありましたが、それをのりこえた里見義堯(よしたか)は、房総半島全域に勢力を広げて、房総最大の戦国大名に成長したのです。そして1590年の豊臣秀吉による関東平定まで、平和な時代はなく、関東各地の勢力と争いが続きました。 里見氏の最大の敵は、小田原の北条氏でした。東京湾の支配を巡って、下総の国の国府台や三浦半島などで、たびたび戦いがありました。水軍同士の戦いでは、里見水軍の力が強く、三浦半島の海辺の村では暴力からのがれるために、里見氏と北条氏の両方に、年貢を納めることがありました。 1577(天正5)年になって、ようやく北条氏との争いが終わります。東京湾の交易が、安心して行えるようになったことから、里見氏は商業を盛んにすることを考えました。館山の湊に商人を集めて、経済で国の力をつけようとしたのです。 [IMGA]http://furusato.awa.jp/modules/dbxleadbbsfile/story/21/8/28PS1.jpg[/IMGA] しかし、天下統一を進める豊臣秀吉が、1590(天正18)年に北条氏を攻めたとき、里見氏も秀吉に従って戦ったにもかかわらず、軍令違反をしたため、安房だけを残して、他の領地を全部取り上げられてしまいました。 北条氏を滅ぼして関東を手に入れた秀吉は、徳川家康に関東を与えました。そのため、安房の国の周りは、徳川氏の家臣でうめつくされてしまいました。その中で里見氏は、安房9万石の大名として、国を支配するための城を館山に築き、家臣をはじめ商人や職人を集めて、城下町をつくることにしました。 最初は館山地区の新井に上町、仲町、下町などの町の形を整え、次第に長須賀(ながすか)、北条へと町を広げていきました。こうして、今の館山市の市街地のもとがつくられたのです。そのとき里見義康は、次のような意味の触れを出して、市をつくって、商売を盛んにするように努めたのです。 |
里見義康法度条々 一、他国の商船が、新井町以外の浜へ船を乗り付けて、商売をしてはならない。 必ず、新井町に船をつけて、売り買いをすること。 一、坂田・波左間から内浦までの海岸の村では、他国の商人に宿を貸してはならない。 もし宿を貸したときは、家の財産を全部取りあげる。 一、安房国内の商人や漁師が、ひとりで商売と漁業の両方をする場合は、それぞれの税金を支払うこと。 一、武家の奉公人が、塩魚や干魚を買うときは、商人ときちんと相談して、正しい取り引きをすること。 むりやり安く売らせないこと。 一、新井町で市を開くので、農村へいって勝手に仕入れをしてこないこと。 必ず、市で売り買いをすること。 右の通り、安房国内の商人たちへ申し渡します。 慶長6(1601)年4月14日 里見義康より 岩崎与次右衛門 石井丹右衛門 松本豊右衛門 |
[IMGA]http://furusato.awa.jp/modules/dbxleadbbsfile/story/21/8/29PM1.gif[/IMGA] |
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