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标题: 谁知到北元皇子的下落? [打印本页]

作者: 宇都宫壬纲    时间: 2010-3-19 10:02     标题: 谁知到北元皇子的下落?

话说元顺帝的次子被八哥俘获之后,因为口有怨言被流放到琉球了。之后的下落呢?日本方面有没有之后的相关记载?
作者: 金森宗康    时间: 2010-3-19 13:14

查了一下,琉球大学的教授说琉球方面没有类似的文献记载,只有《明实录》孤证而已。下面是另外查的。
13世紀頃にユーラシア大陸を席巻した史上最大の帝国・モンゴル帝国のうち、クビライが建てた大元ウルス(ウルスはモンゴル語で国)は1368年、明の朱元璋によって滅ぼされます。その時、明は元朝皇帝の次男と妃・娘を生け捕りにしましたが、彼らが沖縄に追放された事実はあまり知られていません。
元朝皇帝の次男の名前は「地保奴(ティポヌ)」。元朝17代天元帝(ウスハル・ハーン)の次男です。捕らえられた地保奴らは当時の首都であった南京に送られます。明皇帝の太祖は元がかつて良い政治も行ったことを考えて、その子孫である地保奴を殺すことは止めました。しかし国内においておくのもどんなものだろうかということで、多くの資財を与えて琉球に送った、と明朝の記録『明実録』にあります。
『明実録』の記事は単なる伝承などではなく、当時の出来事を正確に記録したものですから、元朝皇帝次男の琉球への追放はほぼまちがいない事実と考えられます。地保奴がその後どうなったのかは不明です。沖縄の華僑である久米村にも彼らに関する情報は残されていません。おそらく地保奴は家族とともに、故郷から遠く離れた南海の地でのんびり暮らしたことでしょう。
現在、沖縄に住む人のなかに、史上最大の帝国をつくったチンギス・カンの血をひく人がいるかもしれません。今となっては確かめようもありませんが…
参考文献:田名真之『近世沖縄の素顔』ひるぎ社

追記:地保奴が流された「琉球」とは沖縄のことではなく、台湾であるとの意見もあるようですが、コメント欄でも書いたように、僕が沖縄だと判断した理由は以下の通りです。
まず、根拠となる史料で、当時のリアルタイムの状況に最も近い『明実録』のなかでの沖縄と台湾の表現が異なること。『明実録』中で台湾のことを記す場合には「琉球」ではなく「小琉球」との表記がされています。つまり沖縄と台湾を書き分けているのです。
地保奴が流された地として表記されているのは「琉球」。つまり『明実録』の表記法で考えれば、台湾の場合、これが「小琉球」となるはずで、実録に登場する「琉球」は沖縄を指している可能性が高いといえます。
ただこれもあくまでも可能性であって、地保奴が流された地は新たな史料がないかぎり、間違いなくここだとはいえないのが現状です。




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